伊東温泉十六勝

2007年9月20日 (木)

伊東温泉十六勝 温泉プールについて

戦前の絵葉書【伊東温泉十六勝】を個人的に趣味で調べる、暇つぶし企画です。

暇つぶしで始めたこの企画ですが、五勝目まで進んでちょっとだらけておりましたら、

ぬいさん様から“伊東温泉十六勝 一勝目”にコメントを頂きまして、謎が解けました。

以下、ぬいさん様からのコメントです。

********************************************

温泉プール上2枚の写真についてお答えします。

オーナーの話によると、狩野川台風で松川(伊東大川)氾濫し、泥水が大量にプールに流れ込んだそうです。一階が温泉プール、上が旅館で、かつて水泳と言えば伊東と言われたのは、冬場でも練習できるこの温泉プールのおかげだと言われています。

その後、旅館を廃業した跡地にスーパー十字屋が昭和30年代後半に建ち、建物老朽化に伴い、10年前から現在の有料駐車場「松原モータープール」となりました。

場所は昔の猪戸新地(赤線地帯)で、国道135号から猪戸通りに入り、しばらく行くと右手にあります。

********************************************

温泉プール上2枚の写真というのは、これですね。

Photo Photo_2

場所は、現在の有料駐車場「松原モータープール」ということです。

Ca2jotej_3

この場所ですが、ブログには書きませんでしたが、母親の記憶によりまして一応私も聞き知ってはいたのですが、

もう1枚の別の温泉プールの写真Photo_3 がありましたので、特定することが出来なかったのです。

別のプールの写真の謎はまだ残っていますが、私が所有する伊東温泉十六勝の一勝目の絵葉書の謎は解けました。

ぬいさん様からのコメントに感謝します。

それにしても、改めて思うのは、狩野川台風の被害は本当に甚大だったということです。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年8月17日 (金)

発見!? 仙人岩?

7月26日のブログ『伊東温泉十六勝 四勝目』     で書いた与望島。

Photo 

この与望島から先にはあまり一般の人は行きませんが、スキューバーダイビングを楽しむ人たちにとっては割とよく知られた穴場だったりします。

1

足場の悪い岩場と、異常とも思える強い日差しと照り返しによる暑さの中を歩いてなんとか洞窟までたどり着くと、洞窟の中は涼しい風が通り抜けます。

そこで休憩しながら眺める景色が絶景かつ面白いのです。

2

鯨の形をした山や、

023

岩肌の造形。

そして、この岩肌をよ~く見ていて驚くべき発見を、

一緒に行った友人としたのです。

3

それは、山の岩肌に仙人のような人物がまるで誰かに彫られたように浮き出ていたのです。

その容姿は威厳と品格に満ちておりました。

発見などと大げさに書きましたが、このようなものがあるなんて今まで聞いたことはありませんでしたからね。正直驚きましたよ。

5_2

立正安国論をあらわし、幕府政策を批判し、激しい布教活動で他宗を批判した日蓮が、念仏宗派など他宗の人々や、北条氏の怒りにふれて、伊豆へ流罪となった。

日蓮を船で護送した役人は、伊東から南へ下った川奈の沖に浮かぶ岩礁の上に、日蓮を置き去りにしたという。潮が満ちてくれば海中に没する岩礁は、俎岩と呼ばれて現在に伝えられています。(富戸の沖の海岸という説もあります)

その日蓮を、川奈の漁師・船守弥三郎[ふなもりやさぶろう]が救って、岩屋にかくまわれたと伝わっている。日蓮は岩屋で約30日間を過ごし、その後伊東へ移ったという。川奈の岩屋の前に祖師堂が立ち、岩屋内にも祠[ほこら]もあります。

川奈にはこんな歴史もあったりもするのですが、まさかねぇ、これって日蓮さんだったりして。

***********************************************

***********************************************

NHKの歌番組「みんなのうた」で放送されている「おしりかじり虫」が、大人気になっている。07年7月27日に発売されたCDやDVDが品切れに。NHKサイトからの有料ダウンロード数は2万を超え、歴代の「みんなのうた」の中でも断然トップ。ミクシィ(mixi)にコミュが作られていて、「だんご3兄弟」(公称出荷枚数約380万枚)を抜くのではないか、とまで言われているそうです。

Pic_youtubelogo_123x63 みんなのうた  「おしりかじり虫」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月 3日 (金)

伊東温泉十六勝 五勝目

戦前の絵葉書【伊東温泉十六勝】を個人的に趣味で調べる、暇つぶし企画です。

五勝目は、

(伊東温泉)殷盛の中心大川橋より川口を望む

です。

12

まずは、だいぶ様変わりした現在の大川橋より河口を望んでみました。

Photo

伊東の街中を流れる松川(伊東大川)に架かる大川橋。

この大川橋からの景色は静岡県の「まちなみ50選」に入っています。といっても、上の写真とは反対側の木造旅館街景色です。松川の脇には遊歩道が設けられ、河口から岡橋までの全長約1kmに柳など樹木が植えられ、藤棚も造られています。石を敷いた風情ある道には木下杢太郎[きのしたもくたろう]の解説パネルが立ち、浴後の散策によいのです。

Photo

↑大川橋からいでゆ橋を望む。

****************************************

しかし、このブログを書きながら気が付いたのですが、この大川橋という名称はいつから付いたのでしょう?

地図で見ると、伊東大川に架かる橋だから大川橋というあたりまえの名なのですが、そもそもこの川を大川とはあまり呼ばずに松川と呼ぶ方が一般的だと思います。(実は私は今まで松川の上流の方の川が大川だと思っていました)

実際に調べていくと、明治の頃の地図には松川橋と記載されていますし、松川橋の絵葉書もありました。

Photo

Photo_2

上の写真が河口から、下の写真が上流から撮られた松川橋ですが、年代は分かりませんが、明らかに橋の形状は違いますが、松川橋と記載されているからには、この川は当時「松川」と呼ばれていたと思われるのです。

ところが、上の写真と同じ形状の橋で大川橋と記載された絵葉書もあるのです。

Photo_3

川の並びの建物の形状が違うので年代は違いますが、同じ橋だと思われるのですが・・・・。

正直、私にはもう意味が分かりません。その当時から『松川』と『大川』という二つの名称があったと考えるのが妥当なのでしょうか。

*追記

やはり、結論としましては、「伊東大川」というのは公称で、当時川沿いには松が植えられていて、街中に住む人たちからは「松川」と親しみを込めて呼ばれていたのだと思われます。

**********************************************

伊東温泉十六勝の大川橋(1番上の写真)の全体を写した写真もありました。

Photo_4

Photo_5

当時の伊東は街全体が重厚な感じで趣があったんですねぇ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年7月26日 (木)

伊東温泉十六勝 四勝目

戦前の絵葉書【伊東温泉十六勝】を個人的に趣味で調べる、暇つぶし企画です。

昨日は、久しぶりに良い天気の定休日でしたので、戦前の絵葉書『伊東温泉十六勝』の1枚と同じような構図の写真を撮りに行ってきました。

その絵葉書とは、

07

(伊東温泉)沿岸に景趣を添ゆる與望島の風色

**********************************************

現代では、与望島と表記されるこの島の場所は、

川奈港から伊東方面に向かう海岸線の道路の汐吹崎の手前のトンネルの所です。

実際にこの絵葉書のように与望島の近くまで行くのには、一苦労なのです。

昨日も、車で近くまで行ったら、海水浴の為の臨時駐車場があったのですが、1500円取られるみたいなので、少し先の道路脇に車3台分くらいのスペースがあったのでそこに車を止めて、海岸線に下りていったのです。

そこから足場の悪い海岸線を歩いていくのですが、満潮時にはやはり危険なので行くことはできないと思われます。岩を波が浸食して出来たトンネルを抜けて、左側を見上げれば断崖絶壁。いつ落石があってもおかしくないような場所の岩場を注意しながら歩いて行ったのです。

3_11

そして、たどり着いて撮った写真がこれです。

Photo_90

絵葉書の写真はもう少し右側のポジションから撮っているようですが、現在ではちょっと足場が悪くて、そこまで行くのは難しいです。

正直、近くまで行くのは大変で危険かもしれませんが、その景観は素晴らしいです。

伊東マリンタウンから出航している「伊東海中観光船」でもコースに入っていますので、そちらを利用した方がいいかもしれませんね。

*****************************************

*****************************************

8月17日ブログ『発見!?仙人岩』へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月15日 (日)

浄の池の珍魚

ぎんちゃんからのコメントのおかげで、その昔伊東市にありました『浄の池』に棲んでいた魚が判りました。

「おおうなぎ」「おきふえだい」「ゆごい」「やがたいさぎ」「しまいさぎ」「はいれん」「まくち(ぼら)」の7種類だということで、そのアドバイスからもう一度調べてみたところ、

《むかし大正の末年ごろ、静岡県伊東市にある浄円寺の、温泉の湧く小さな池に海の魚が棲み、非常に珍しいというので、天然記念物に指定されていた。

この不思議な場所は「浄の池」と呼ばれ、そこにいる海の魚は「おおうなぎ」「おきふえだい」「ゆごい」「やがたいさぎ」「しまいさぎ」「はいれん」「まくち」の七種類だった。

海水魚がどうして淡水で暮らせるのか。しかもここは温泉である。水産学者、地質学者から考古学者まで、様々な人の関心を集め、その中の一人作家の室生犀星は「じんなら魚」という詩を書いた。
「伊豆伊東の温泉に/じんならと云える魚棲みけり。/けむり立つ湯のなかに/己れ冷たき身を泳がし/あさ日さす水面に出でて遊びけり。・・・」
題名になっている「じんなら」は、「やがたいさぎ」の地方名とされているけれど、どうも姿形から判断するとシマイサキ科のコトヒキらしい。
当時の資料によると、この池は面積わずかに二十五坪、池底より微温湯が湧き出し、水温はほぼ摂氏26度。水量は常に一定して水は清く澄んみ、寒い日は多少湯気を立てていた、とある。
普通なら、海水魚が淡水に入ると、浸透圧の関係で水膨れになり、腎臓の機能を変化させないと死んでしまう。にもかかわらず海水魚が棲んでいたのは、熱帯地方でしばしば見られるように、水温の高さに関係しているらしい。
残念なことに昭和三十三年の、伊豆を襲った狩野川台風で「浄の池」は環境が激変して魚もいなくなり、天然記念物の指定も解除されて、今は病院の敷地になっている。ただし「じんなら」の詩は、伊東市内に碑文となって残っている。(産経新聞夕刊・連載「釣然草」から。》
という産経新聞の記事を見つけることが出来ました。
上の記事の補足として、天然記念物に指定されたのは、大正11年3月で、指定を解除されたのが、昭和57年頃だそうです。
そして、当時は、
1、蛇鰻
2、毒魚
3、迅奈良
4、横縞
5、湯鯉と分けていて、2の毒魚には鯛に似た3匹がいて、「腹と鱗が緋で他は黒、ただ餌を喰うときは全身を赤色に呈す」らしい。
1の蛇鰻は「おおうなぎ」ことでしょう。Photo_89 
そして、3の迅奈良は「じんなら」こと「コトヒキ」こと「ヤガタイサキ」です。
Photo_82
そして、4の横縞が「シマイサキ」。
Photo_83
そして、5の湯鯉は「ユゴイ」。
Photo_84
*************************************************
そして、問題の、毒魚が、「おきふえだい」。
Photo_88
「はいれん」こと「イセゴイ」。
Photo_86
そして、「まくち」こと「ボラ」。
Photo_87
*********************************************
う~ん。どこかで意味を読み間違えているかも・・・・・。
毒魚とは、【鯛に似ていて】、
【腹と鱗が緋で他は黒、ただ餌を喰うときは全身を赤色に呈す】。
だとすると、写真から判断するに、
毒魚とは『おきふえだい』しか考えられないですなぁ。
毒魚のイメージではありませんがねぇ。
**********************************************
136783
ネットで見つけた浄の池の絵葉書です。左上が「おきふえだい」、右上が「ゆごい」、右中が「おおうなぎ」、左下が「やがたいさき」、左右が「しまいさき」だと思います。
なんか、もっとグロテスクで物珍しい魚を想像していたのですが、ちょっと意外でしたね。
**********************************************

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007年7月14日 (土)

毒魚

昨日のブログで『浄の池』の毒魚は何だろう?って書いたのですが、ちょこっと調べてみたら、全国の釣り好き(釣りバカ?)さんたちが色々書いてくれていました。

その中でも勝手にリンクを貼っても大丈夫そうな「おさかな普及センター資料館」のホームページの『有毒魚』のページを見てみますと、

私たちになじみ深い魚にも、フグ類、一部のアジ類、ハタ類、ブダイ類、カマス類などのように体内に毒を持つもの、オニオコゼやミノカサゴのように鰭の棘に毒を持つもの、ウナギ類のように血液や粘液に毒を持つものがいます。
毒魚とは、一番よく知られているのがフグ、フグ類と同様に筋肉や内臓などに毒をもつ魚にアジ類、ハタ類、フエダイ類、ブダイ類、カマス類などがいます。この他、卵、体表の粘液、血清、鰭の棘などにもつ魚もいます。毒の種類によっては危険なものも有り、このように私たちの生活にとって有害な魚を毒魚と呼んでいます。

なるほど、毒を持っているから毒魚かぁ、って

当たり前じゃねーか!!

分かってはいましたが、浄の池に居た毒魚を特定するのは難しいですねぇ。やはり、実際に当時の浄の池を訪れた事のある、魚に詳しい人からの話を聞かないと駄目ですね。

************************************************

「おさかな普及センター資料館」のホームページの『有毒魚』のページを見ていたら、有毒魚の中に「アオブダイ」が出ていました。

アオブダイ(ブダイ科)220502
毒の種類:パリトキシン
分布:房総半島から琉球列島まで。
生態:岩礁にすみ、サンゴやスナギンチャクを食ベる。
似ている魚との見分け方
歯の形と体色。

***************************************************

他のブログを見てみても、1960年以降、日本近海のアオブダイを食べて、4名の死者がでています。大阪市でも1997年9月にアオブダイによる食中毒事件が発生しています。毒成分は肝臓を中心に筋肉にも含まれるとか、

アオブダイも注意が必要な魚です。アオブダイの食べているエサによっては、猛毒のパリトキシンと呼ばれる毒が肝臓に蓄積されていることがあります。この毒による中毒死の例もあるので要注意!数年前にもアオブダイを食べた人が死亡したとニュースや新聞で報道されていました。

などとありました。

6月28日のテレビ朝日の『いきなり!黄金伝説。』のタカアンドトシアンド優の無人島0円生活【3時間スペシャル】で浜口さんが

014 『大きい魚捕ったど~~~~~~~』

015 などと叫んで、大きな魚(アオブダイ)を、タカアンドトシさんと3人でカレーにして食べてましたけど、大丈夫なんでしょうかねぇ?

番組的には面白かったですけどね。

***********************************************

今日は一日雨ですなぁ。台風も心配です。お店も暇です。(これはいつもの事ですが)

もうすぐ参議院選挙ですね。関係ないですけど、暇なので面白政見放送でも貼っておきます。

You Tube 内田裕也政見放送

You Tube 前回の東京都知事候補 外山恒一政見放送

You Tube 政見放送 兵庫のおじさん

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007年7月13日 (金)

伊東温泉十六勝 三勝目

戦前の絵葉書【伊東温泉十六勝】を個人的に趣味で調べる、暇つぶし企画です。

9日から始まった伊豆新聞の連載、『昭和12年ごろの伊東の風景』は

1回目 伊東の街並み。2回目 仏現時。3回目 物見の松。4回目 松月院。と進みまして、本日は5回目 浄の池でした。

伊東温泉十六勝の絵葉書(2勝紛失)の中には松月院とたぶん物見の松(たぶんというのは、紛失した2勝のうちの1勝は物見の松だと考えられる)が入っていまして、松月院には取材に行ったのですが、思い通りの写真が撮れずに後回しにしたのです。

で、今回は浄の池です。

浄の池は、現在は存在しません。

まずは伊豆新聞の記事より、

Photo_78

今は横山医院になって久しいが、かつてここが伊東最初の国指定、特別魚類生息地であったことは、多くの市民の知るところである。元禄十六年の大地震まで、ここに浄円寺があって、浄円寺の池が、浄の池になったと、伝えられている。当時の浄円寺は、和田の大湯に入湯にやってきた貴人たちの宿舎として利用され、新井村の漁師によって新鮮な魚が提供された記録が残っている。和田湯といえば、昭和十一年四月十七日、種田山頭火が和田湯から、二軒程、浜に寄った伊東屋という木賃宿に三泊している。湯好きの山頭火が和田湯に入湯し、ついでに漂泊の旅のつかの間の見物をもしている。彼の其中日記(ごちゅうにっき)に、午後は晴れた、私は行乞をやめてそこらを見物して歩く、浄の池で悠々泳いでいる毒魚。の記事がでている。浄の池の水は微温湯であったことから、温帯産の魚類が多く生息し、中でも毒魚が最も人気が高かった。山頭火もどう猛な毒魚に少なからぬ興味を抱いたようであった。 伊東郷土研究会員 鈴木茂

**********************************************

「今は横山医院になって久しいが、かつてここが伊東最初の国指定、特別魚類生息地であったことは、多くの市民の知るところである。」という書き出しでありますが、今の若い人達に聞いても知らないと答えるでしょうね。横山医院で検索をしてみると、場所は伊東市和田1-4-20でした。

元禄十六年というのは西暦1703年。その年の11月23日午前2時頃、関東地方南部に大地震と大津波が起こりました。その地震によって浄円寺は少し東に移転して、そこに池だけが残ったということなのでしょうか。その池を浄の池と呼んだと言う事なのでしょう。

山頭火の昭和11年の『其中日記』の記述というのは以下の部分ですね。

4月17日

晴、うららかだつた。

茅ヶ崎まで歩く、汽車で熱海まで、そこからまた歩く、行程七里、労れた。

富士はほんたうに尊い、私も富士見西行の姿になつた。

熱海はさすがに温泉郷らしい賑やかさだつた、伊東も観光祭。

今日の道は山も海も美しかつたけれど自動車がうるさかつた。

山の水をぞんぶんに飲んだ、をりをりすべつたりころんだりした。

旅のおもしろさ、旅のさびしさ。

   松並木がなくなると富士をまともに

   とほく富士をおいて桜まんかい

4月18日

伊豆はさすがに南国情調だ、麦が穂に出て燕が飛びかうてゐる。

伊豆は生きるにも死ぬるにもよいところである。伊豆は至るところ花が咲いて湯が湧く、どこかに私にふさはしい寝床はないかな!

大地から湧きあがる湯は有難い。

4月19日

午后は晴れた、私は行乞をやめてそこらを見物して歩く、浄の池で悠々泳いで

ゐる毒魚。

伊東はいはゆる湯町情調が濃厚で、私のやうなものには向かない。

波音、夕焼、旅情切ないものがあつた。

4月20日 下田へ出立する。

川奈ゴルフ場、一碧湖、富戸の俎岩、光の村、等々横眼で眺めつつ通りすぎ

る、雑木山が美しい、天城連山が尊い、山うぐひすが有難い。

風、風、強い風が吹く、吹きまくられつつ歩く、さびしい、つかれる。

************************************************

浄の池で悠々泳いでゐる毒魚。毒魚とはいったい何という魚でしょう。温帯産のどう猛な毒魚。

判りません。

新聞記事によって分かったのはそれくらいです。

浄の池をネットで検索してもほとんど出てきません。出てきたのは、室生犀星の詩です。

じんなら魚
『伊豆伊東の温泉(いでゆ)に じんならと云える魚棲みなり
 けむり立つ湯のなかに 己れ冷たき身を泳がし あさ日さす
 水面に出でて遊びけり 人ありて問はばじんならは悲しと告げむ
 己れ冷たく温泉(ゆ)はあつく されど泳がねばならず
 けぶり立つ温泉(いでゆ)のなかに棲みけり』

解説:犀星が大正12年34才の時伊東温泉を訪れ、浄の池で「じんなら」を見て、湯けむり立つ池の中で必死に泳ぐじんならを我が身にたとえて詠んだ詩とされる。
いまでも『じんなら』の魚影を松川に見ることが出来るとか。

『じんなら』というのは琴引(コトヒキ)のことらしいです。

スズキ目、シマイサギ科                      
本州中部から西部太平洋に分布。近海性で、河口付近にもす
む。銀灰色の肌地に黒色縦帯が3条並んでいる。口の上部が丸
い。ヤガタイサギとも言う。体長25cmほどになる。 
定置網、釣りなどで漁獲され、食用となる。

Photo_81  

ということなんですが、当時はかなり有名な観光名所だったのでしょうねぇ、ネットでの検索だけなのでまだ分からない事が沢山あるのですが、今度伊東の図書館(蔵書数が少ないので期待薄)にでも行って、調べてみたいと思っております。

*********************************************

そして、絵葉書です。

06

(伊東温泉)珍魚の棲息せる浄の池(天然記念物)

今も残っていれば、街中にある観光名所になっていたでしょうに。

最後に、明治末から昭和初期までの約25年の間に、倉場富三郎(Thomas Albert Glover)により編纂された長崎近郊の魚類図鑑、グラバー図譜を紹介します。

オオウナギの説明に、その分布の北限が浄の池と記述されています。

グラバー図鑑 オオウナギ

**********************************************

7月14日のブログ『毒魚』へ

7月15日のブログ『浄の池の珍魚』へ

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年7月11日 (水)

伊東温泉十六勝 

戦前?戦後?の絵葉書【伊東温泉十六勝】を個人的に趣味で調べる、暇つぶし企画です。

が、なかなか思うようにはかどらないのは、飽きっぽい性格のせいっていうのも否定はしませんが、デジタルカメラの広角レンズのコンパクトなやつが欲しくて、今悩んでいるせいでもあるのです。

下手は下手なりに思い通りの写真を撮りたいものでしてね、お手頃価格で良いカメラを探しているのですが・・・・。

*******************************************************

7月9日付けの伊豆新聞に昭和12年ごろの伊東の風景1という連載が始まりまして、

Photo_77

松原、寺山の高台からの昭和12年ごろの伊東の街並みという写真が載っていました。

写真が小さくてなかなか見づらいのですが、寺山の高台というのは松月院のことでしょうか、

時代と構図は違いますが、伊東温泉十六勝の絵葉書の1枚と似ていました。

15

新聞の記事によりますと昭和12年というのは、国鉄(現JR線)の伊東線が開通する前年であるとのことで、写真には線路らしいものが認められぬ様子だという。

なるほど、ということは、絵葉書にも線路らしいものは認められないし、何となくではありますが、新聞の写真より絵葉書の方が建物の大きさや外観から街並みが古いような気がするのです。

まぁ、いずれにしてもこの絵葉書が戦前のものであることは、間違いないと思います。

よって次回からは、

戦前の絵葉書【伊東温泉十六勝】を個人的に趣味で調べる、暇つぶし企画に変更したいと思います。

**************************************************

しかし、気になるのは、伊東郷土研究会。以前は会報を出していたみたいですが、現在も活動しているのでしょうか?会員の方がいるのですから活動しているんでしょうねぇ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年6月21日 (木)

伊東温泉十六勝 二勝目

戦前?戦後?の絵葉書【伊東温泉十六勝】を個人的に趣味で調べる、暇つぶし企画です。

絵葉書の2枚目はこれです。

Photo_70

(伊東温泉)賽者常に絶えざる

  伊東祐親の墓(曽我兄弟の祖父)   です。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によりますと、

伊東祐親(いとうすけちか、生年不詳-寿永元年2月15日(1182年3月21日))は平安時代末期の武将。藤原南家の流れを汲む伊豆の豪族、伊東祐家の子。

東国における親、平家方豪族として平清盛からの信頼を受け、平治元年(1159年)の平治の乱に敗れて伊豆に配流されてきた源頼朝の監視を任される。しかし祐親の娘八重姫は、頼朝と通じて一子”千鶴丸”儲けるまでの仲になってしまう。祐親はこれを知ると、平家の怒りを恐れ千鶴丸を滝壷に沈めて殺害、さらに頼朝自身の暗殺も図る。これを事前に察知した頼朝は、夜間馬に乗って逃げ出し、北条時政の館に匿われ、事なきを得たという。

治承4年(1180年)に頼朝が挙兵すると、大庭景親らと協力して石橋山の戦いにてこれを撃破する。しかしやがて勢力を盛り返した頼朝によってかえって追われる身となり、富士川の戦いの後捕らえられ、娘婿の三浦義澄に預けられる。義澄による助命嘆願が功を奏し、一時は一命を赦された祐親だが、これを深く恥入り自害して果てた。

ということなのですが、私自身、全くと言っていいほど、知らない事でした。それはただ私自身の勉強不足ということなのですが、調べていくうちに判ったのですか、伊東祐親を語った話のほとんどのものが、上の説明みたいに話をドラマチックにするため平家方の祐親が、頼朝と娘の八重姫の子供の千鶴丸を殺したとという記述になっているのですが、事実は斉藤実盛の実子、斉藤五郎、六郎の兄弟に千鶴丸を託して、奥州和賀義治の嗣子に迎えられているのです。但し千鶴丸は目的の和賀城(今の岩手県)に達することなく奥州白石に於いて疱瘡に罹り二十三歳にして一子忠明を遺して他界しているのですが。千鶴丸は後に和賀忠頼と改め系図の上では、和賀城第十一代となっていますが、実際の城主となったのは、其の後忠明で、和賀城第十二代目です。二十三歳で死亡した千鶴丸の戒名は天沢宗茂大禅定門正治元年七月二十六日がその没年であるそうなのです。

そのような歴史的なことも知らずにいた私ですが、伊東祐親のお墓の存在は知っていました。ただ、全くと言っていいほど興味がありませんでしたので、今回、初めてこの企画の為にお参りしたのです。

Photo_71

Photo_74

Photo_72

絵葉書のような趣のある処を想像していたのですが、期待は見事に裏切られました。綺麗に管理はされているようですが、『賽者常に絶えざる』ということは、なくなってしまったように思われます。

絵葉書で墓石の左側に見られる松の木は、今では切り株が残っているだけでした。

Photo_73

このお墓からそばの坂を下れば、菩提寺の東林寺に至ります。そして、東林寺にほど近い葛見神社は延喜式の式内社としての古い格式を持つ神社だそうです。

今回は、絵葉書の場所を訪ねて、その写真を撮るというのが第一の目的でしたが、この絵葉書をきっかけに、源頼朝と伊東祐親の娘とのロマンスや、河津三郎の相撲の話や、その子供の曽我兄弟の曽我物語など興味深い話が沢山あって、伊東のお寺や神社についてこれから調べるのも面白いなと思いましたね。あまりに何も知らなかった自分を恥じながらです。

伊東市では毎年「伊東祐親まつり」が開催されるなど、郷土の英雄として親しまれています。また曽我兄弟の祖父としても有名なのです。

***********************************************

[伊東祐親まつり] 伊東市

平安時代、伊東に本拠を置き、伊豆一の勢力を誇った武将「伊東祐親」を顕彰する「伊東祐親まつり」が、5月28日・29日伊東松川の「藤の広場」を中心に開催します。
「薪能」は、28日に松川水上特設舞台で行われます。川面にゆらゆら灯火が揺れ映る幻想的な雰囲気の中、「能」や「狂言」が演じられます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月18日 (月)

伊東温泉十六勝 一勝目

戦前?戦後?の絵葉書【伊東温泉十六勝】を個人的に趣味で調べる、暇つぶし企画です。

絵葉書の1枚目はこれです。

Photo_66

(伊東温泉)設備整頓せる温泉プール  (長サ二五米、幅八米、深サ一.五米)

とありますが、場所が明記されておらず、どこか判りません。現代でしたら、温泉(温水)プールなど珍しいものではありませんが、当時は、絵葉書になるくらいですから珍しいものだったのでしょう。

ネットで調べていたら、同じプールの違う絵柄の絵葉書を見つけました。

Photo_68

印字されてる文字の位置は違いますが、字体と文面が同じなので、同じ所で印刷されたものだと思われますが、もう1枚別のプールと思われる絵葉書もネットで見つけました。

Photo_69

温泉プール 天*を利用した温泉大プールで伊東名勝の一つである。(水*二五米標準プール)*は画像が悪くて読めません。

古いものなのは確かなのですが、上の2枚の文字が横に右から書かれているのに対して、この絵葉書は、今と同じ横に左から書かれているところをみると、こちらの方が新しいと思われます。(*右横書きと、左横書きによって、戦前、戦後に分けられるのでしたら判り易いのですが、そんなに単純な事ではないらしいです。話がそれますが、右横書きというのが、縦書きの一種という説があるそうです。一列に一文字づつ書く縦書きだという説です。今の話に関係ないですけど、ちょっと面白いなと思ったので。)

建物も上のプールよりも、モダンな造りになっていますね。

どちらにしても、残念ながら、場所が明記されていないので、何処にあったのかはわかりませんし、もう、同じプールが存在するとも思えませんので写真を撮ることも出来ないのです。

9月20日ブログ『伊東温泉十六勝 温泉プールについて』

| | コメント (3) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧